『顔』2000/松山ホステス殺人事件

 華やかなバブル景気と共に始まった平成時代。やがてバブル経済は崩壊、阪神・淡路大震災が続き、それまでの価値観や倫理観は大きく揺らぐことになった。混迷する社会を反映するように、凶悪化する少年犯罪、ネットを介した劇場型犯罪、そして真犯人の行方がわからない未解決事件など、さまざまな難事件・怪事件が起きている。そんな実話をベースにした10本の日本映画をセレクトしてみた。犯罪映画を通して、平成30年を振り返ってみよう。


福田和子が逃げ続けた理由とは?

 福田和子が同業のホステスを絞殺した「松山ホステス殺人事件」は1982年昭和57年)に起きているが、福田は顔を整形して逃亡生活を続け、時効間近に迫った1997年平成9年)に福井市で逮捕されたことで大きな話題となった。

 阪本順治監督がこの事件をヒントに撮った『顔』は、鬱屈した人生を送っていた正子(藤山直美)が罪を犯したことで、逃亡しながらも生きる歓びを手に入れるという逆説的な物語となっている。警察に追われる正子が夜の海へ飛び込み、不格好ながらも自由を求めて懸命に泳ぎ続けるラストシーンが印象的だ。

 映画では正子は酔っぱらったトラック運転手中村勘三郎)にレイプされるが、福田の獄中手記『涙の谷…私の逃亡、十四年と十一カ月十日』(扶桑社)では18歳のときに拘置所に収容され、看守の手引きで女子房に入ってきたヤクザに強姦されたことが明かされている。二度とムショには戻りたくないがゆえの懸命の逃亡劇だった。

 福田の逃亡劇は、大竹しのぶ主演作『実録 福田和子』(フジテレビ系)、寺島しのぶ主演作『福田和子 整形逃亡15年』(テレビ朝日系)と度々ドラマ化されている。名前、外見、経歴、職業、男を変えながらサバイバルした福田の人生は、女優魂を突き動かすものがあるようだ。

毒ガス検知器代わりとなったカナリア

 死者13名、負傷者6300名を出し、全世界に衝撃を与えたオウム真理教による「地下鉄サリン事件」は1995年3月20日に起きた。教団内で育てられた少年にスポットライトをあてたのが、塩田明彦監督の『カナリア』だ。教団を出たものの、社会に適応できずに苦しむ元信者たちの姿が描かれている。

 カルト教団で育った少年・光一(石田法嗣)は児童相談施設に預けられていたが、洗脳が解けずに周囲になじむことができずにいた。教団で一緒に暮らしていた幼い妹を連れ戻すため、光一は施設を飛び出して妹を引き取った東京の祖父宅を目指す。途中、父親から虐待されている少女・由希(谷村美月)と出会い、行動を共にすることになる。

 家族に見捨てられ、信じていた宗教も否定された子どもは、何を信じて生きていけばいいのか。光一たちは自分らの居場所を求めて放浪を続ける。谷村美月が歌う昭和の懐メロ「銀色の道」が耳に残る。オウムの施設に突入した捜査隊が毒ガス検知器として手にしていた籠の中カナリアと、歌を口ずさむ子どもたちを重ねるように描かれている。

 同時期に製作された是枝裕和監督の『誰も知らない』(04)では、1988年に発覚した「巣鴨子ども置き去り事件」が題材となっていた。時代の変化を敏感に察知するのは、やはり子どもたちであるようだ。

殺しの金メダリストが見せる殺人ショー

 満島ひかりヒロインに抜擢した『愛のむきだし』(09)でカルト教団による洗脳の恐ろしさを描いた園子温監督が、次回作に選んだのが1993年に発覚した「埼玉愛犬家連続殺人事件」だった。設定はペットショップ経営者から熱帯魚経営者に変えてあるが、殺人鬼役を演じるでんでんの振り切った演技が話題を呼び、スマッシュヒットを記録。以後、実録犯罪映画が続々と企画されることになった。

「ボディを透明にする」というでんでんの台詞は、逮捕された関根元が実際に口にしていた言葉。関根は「殺しのオリンピックがあれば、金メダルだ」という名言も残している。ブリーダーとして有名だった関根は、犬を安楽死させるという口実で知り合いの獣医から劇薬を入手し、都合の悪い相手を次々と毒殺。死体は解体した上で、骨は焼却、肉はサイコロ状に裁断して川に流した。関根によってボディを透明にされた被害者の数は、30人以上ともいわれている。

 映画ではカリスマ性のある村田(でんでん)によって、社本(吹越満)たち崩壊一家は簡単に丸め込まれ、社本は死体遺棄を手伝うはめになる。犯罪には縁のないはずだった人間が、恐怖によって洗脳支配されてしまう過程がじっくりと描かれている。

 時間の経過がテロップで表示され、終盤からは秒単位で時間が流れていく。園監督によると「過ぎた時間は二度と戻らない」ことを示しているそうだ。死刑判決が下った関根は、処刑されるのを待つことなく2016年拘置所内で病死している。

リビドー渦巻く、妖しき迷宮世界

 

 昼は大企業に勤める幹部社員、夜は円山町を徘徊する娼婦……。1997年3月9日に起きた「東電OL殺人事件」ほど、被害者のプロフィールに注目が集まった事件はない。2つの顔を持っていた被害者像は、多くの作家たちのイマジネーションを刺激した。作家・桐野夏生2003年に『グロテスク』(文藝春秋)を上梓、石井隆監督が撮った官能映画『人が人を愛することのどうしようもなさ』(07)のヒロイン像にも強い影響を与えている。

 園子温監督もこの未解決事件をそのまま映画化するのではなく、独自の解釈による『恋の罪』として描いてみせた。事件の起きた渋谷のラブホテル街をリビドー渦巻く現代の迷宮に見立て、迷宮に足を踏み入れた主婦の目線から事件を物語っている。貞淑な妻であるいずみ神楽坂めぐみ)をリビドーの迷宮へと誘うのが、有名大学の准教授と売春婦という2つの顔を持つ美津子(冨樫真)。やがて2人は殺人事件に関わり、事件を追う刑事の和子(水野美紀)もまた迷宮の世界へと迷い込む。

 迷宮をさまよった挙げ句、社会の底辺へと堕ちていくいずみ。だが、主婦として何不自由なく暮らしていた頃に比べ、生の実感を手に入れたいずみは別人のような輝きを放つ。亡くなったエリートOLが夜の街で求めていたものは、死と隣り合わせである生の実感だったのだろうか。この事件から14年と2日後、東電は全世界を震撼させる大事件を起こすことになる。

 2008年6月に起きた「秋葉原無差別殺傷事件」をモチーフに、大森立嗣監督は異色作『ぼっちゃん』を撮り上げた。犯人の加藤智大はネット掲示板犯行予告の文章を書き込んでおり、大森監督は加藤の文章に触発され、本作の脚本に着手したと語っている。

 社会からの疎外感を抱く主人公が犯行に及ぶシーンは、大森監督の独自の解釈によるものとなっているが、派遣社員が派遣先の職場で抑圧される様子はディテールたっぷりに描かれている。『SRサイタマノラッパー』(09)の水澤紳吾、『オカルト』(08)で怪優ぶりを発揮した宇野祥平が共演。インディーズ映画界の名優2人のやりとりが絶妙すぎ、ブラックコメディ要素の強い作品となった。実録犯罪ものを期待して観ると違和感を覚えるだろうが、格差社会の底辺でも行き場を失った人間は、野獣化せざるをえないというシビアな現実が浮かび上がる。

 大森監督は、真木よう子主演の官能作『さよなら渓谷』(13)では「秋田児童連続殺害事件」をモデルにしたエピソードを物語の導入パートとして描いている。現代人の心の闇、社会の歪みを見つめることで作家性を発揮する監督だといえるだろう。

迫真すぎたピエール瀧の演技

 2005年に死刑囚の告白を「新潮45」の記者がスクープ記事にしたことで、首謀者が逮捕されることになった「茨城上申書殺人事件」の映画化。薬物依存症の元暴力団組長役をピエール瀧が演じ、迫真の演技を見せている。

 藤井記者(山田孝之)のもとに、獄中にいる死刑囚・須藤(ピエール瀧)からの手紙が届く。須藤と面会した藤井は、まだ警察が気づいていない余罪と一連の事件には首謀者がいることを知る。半信半疑で取材を始めた藤井は、土地ブローカーの木村(リリー・フランキー)の足取りを追うことに。須藤が「先生」と呼んで慕っていた木村は、生命保険に入った老人を死に追い詰めるなどして億単位の大金を手に入れていた事実をつかむ。

 本作を撮った白石和彌監督は、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(08)で知られる若松孝二監督の愛弟子。スキャンダラスな映画を撮り続けた若松監督を師匠として仰いだだけに、白石監督も実話を題材にした本作で思い切った演出を見せ、売れっ子監督への道を切り開いた。

 白石監督の作品は『孤狼の血』『止められか、俺たちを』(18)のどちらも、アクの強い“師匠”から主人公たちは大きな影響を受けることになる。本作にもそれがいえる。誤った師匠を選んでしまった男の哀しみが、ピエール瀧の演技には漂っている。

毒親、ネグレクト、無縁社会……断ち切れない負の連鎖

 毒親による虐待を受けている児童の数は、1990年代以降年々増え続けている。中でも世間の大きな関心を集めたのが、2010年に起きた「大阪二児餓死事件」だった。織方貴臣監督はこの事件を含め、いくつかの児童虐待事件を取り入れた形で『子宮に沈める』として自主映画化している。

 夫と別れ、若くしてシングルマザーとなった由希子(伊澤恵美子)は2人の子どもを連れて、アパートでの新生活を始める。よい母親になろうと張り切る由希子だが、学歴も職歴もなく、なかなか割りのいい仕事は見つからない。育児と仕事の両立に疲れた由希子は、次第に男と遊ぶようになり、アパートには戻らなくなってしまう。母親の心の荒廃を反映したかのように、アパートの部屋は大量のゴミで埋もれていく。数週間が経っても母親が帰ってこない中、残された姉弟の姉はまだ幼い弟の世話を懸命に看ようとするが……。

 実際に起きた悲劇をネタにして商業映画にしていると、織方監督はネット上でバッシングを浴びることになった。事件を起こした母親を糾弾するための映画ではなく、シングルマザーの苛酷さを伝えたかったという織方監督のメッセージは、バッシングする人々の耳には届かなかった。事件を招いた加害者をいくら叩いても、ネグレクト問題は何も解決しない。『子宮に沈める』はそのことに気づかせてくれる。

 

 2007年3月に起きた「リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件」の映画化。2年7か月に及ぶ逃亡生活を送った犯人・市橋達也の獄中手記『逮捕されるまで』(幻冬舎)を原作に、ディーン・フジオカ初主演&初監督作として劇場公開された。

 当初は『刑務所の中』(02)や『血と骨』(04)などのヒット作を放った崔洋一監督が撮る予定だったが、亡くなったリンゼイさんの遺族側への配慮から、事件の全体像を描こうとしていた崔監督は降板することに。台湾やインドネシアで俳優&ミュージシャンとして活動していたディーン・フジオカが主演だけでなく、監督も兼任することになった。

 映画では殺害および死体遺棄シーンはなく、市橋が警察の捜査網をかいくぐって逃げ続ける様子を、市橋の主観ドラマとして描いている。市橋は顔を整形し、名前を変え、離島で暮らしながら、自分は何者であるかを自問自答し続ける。結局、自分の正体が分からないまま逮捕の日を迎えた。現実から逃げ続ける市橋は、何者でもない、ただ中身が空っぽなだけの存在だった。彼がようやく手に入れたものは、殺人逃亡犯という重い肩書きだけだった。

“平成の毒婦”が仕掛ける禁断のゲーム

 3度目の獄中結婚をしていたことで話題を呼んでいる“平成の毒婦”こと木嶋佳苗。婚活サイトを通じて木嶋と知り合った男性たちが一酸化中毒などの不審死を次々と遂げたことから、「首都圏連続不審死事件」として世間を騒がせた。

 寺島しのぶが主演した『ソドムの林檎 ロトを殺した娘たち』はWOWOWで放映された5話完結のドラマだが、脚本は荒井晴彦、演出は廣木隆一監督と映画界の手だれたちが手掛けており、地上波ドラマとはひと味違う趣きに仕上げてある。結婚詐欺、および4人の男性を殺害した疑いで逮捕される恵(寺島しのぶ)。美人ではないものの、どんなメールの文面が男たちを惹き付けるかを熟知しており、誘いに乗った男たちは手料理の数々やセックステクによって、すっかり籠絡されてしまう。恵にとって、男たちは自由にお金を引き出せるATMみたいなものだった。

 大竹しのぶの魔性ぶりが目に焼き付く『後妻業の女』(16)も実在の婚活殺人を扱っており、彼女のターゲットとなった高齢者たちは夢見心地のままあの世へと旅立つことになる。禁断の果実を食べたアダムとイブの末裔である人類は、この禁断のゲームからは永遠に逃れることはできそうにない。

元犯罪者の社会生活は許されないのか?

 2013年に出版された薬丸岳のミステリー小説『友罪』を、『64 ロクヨン』(16)の瀬々敬久監督が映画化。あくまでもフィクションではあるが、この作品のモチーフとなっているのは1997年に神戸で起きた「酒鬼薔薇聖斗事件」だ。元少年Aと同世代である瑛太と生田斗真が熱演を見せた力作となっている。

 瀬々監督は「光市母子殺害事件」からインスパイアされた上映時間4時間38分の大作『ヘヴンズ ストーリー』(10)をはじめ、数々の実話系犯罪映画を撮ってきたスペシャリスト。更生施設で心理療法と職業訓練を受けた元少年Aが名前を変え、職場を転々とする姿を追っている。

 元少年Aのような大事件を起こしていなくても、誰しも人間は心の咎を感じながら生きている。一度でも過ちを犯した人間は、社会生活を営むことは許されないのか。もし、隣人の隠された過去を知っても、平然としていられるのか。建前と本音が異なるだろう難問を本作は突き付けてくる。

 瀬々監督が撮る犯罪映画は、風景のこだわりでも知られている。本作では終盤に登場する巨大なパラボラアンテナのある風景が印象に残る。心に闇を抱える主人公が、亡くなった人たちへ“祈り”という名の交信を試みているかのように思えてくる。
(文=長野辰次)




(出典 news.nicovideo.jp)


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